先祖の大事な遺品も時を経ればただのゴミになる

古い蔵を取り壊すことになり、詰め込まれていたものを片付けることになりました。先祖の遺品と思われますが、特に価値のあるものはありません。何十年も眠っていたものが多く、ホコリやネズミの糞といったものにまみれて触るのも嫌でした。特に多かったものは食器の類で、割れている、欠けているものもありましたが、未使用のまま箱に入って忘れられていたものがほとんどで、今更使うにもデザインも古く、譲れるようなものでもなく、価値もないため捨てるしかありませんでした。それらが何十という木箱に入っていました。重たくて運び出すだけで重労働でした。もちろん全てゴミとして処理場にお願いしましたが、量が量だけにお金もかかってしまい、まさに骨折り損のくたびれ儲けをお金をかけてやるという馬鹿馬鹿しい状況でした。

 

量が多すぎるため、使えるものと使えないものとに分別するようなことは最初からしませんでした。ぱっと見使えそうだな、と思えるものがあっても、それは「使えそう」なだけであって「使いたい」ものとは別物です。先祖は大事にとって置きたかったのかも知れませんが、心を鬼にして全てを捨てることにしました。一人ではやらず、家族みんなで協力して作業に当たりましたが、誰かが「あ、これは綺麗」「使えるかもしれない」等言い出しても互いに「いいや使わない」と声を掛け合い、淡々と処理することを心がけました。

 

片付けをしていると「使えそうだから取っておこう」という心理に陥ることがありますが、自分が使うか否かできっぱり切り捨てながら行くほうが良いです。

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