「粗大ごみ」は、すぐ捨てるのではなく、再利用したい。

知り合いから祖母の使っていたという和ダンスをいただきました。今までは10段の衣装入れを使っていたのですが、和ダンスのほうが収容力があるので、ありがたくいただきました。
すると、どうしても、10段の衣装入れがはじき出されてしまいます。処分費用を出せば、自治体が引き取ってくれるのですが、その前に友人たちに声をかけてみました。

まず友人たちがそれぞれに話を広げてくれたおかげで、欲しいという方が見つかりました。いろいろとやり取りの結果、譲る話がまとまりました。
運搬をどうするか?の課題が残っていましたが、我が家の自動車に積めることがわかり、無事に届けることができました。
無償で良かったのですが、手土産をいただきました。とても喜んでくださって、我が家にあったときよりも、もっと活用していただけるとのことで、とてもうれしく思いました。
すぐに廃棄にしないで、よかったです。

すぐに廃棄せずに、どなたかに譲ることができると良いですね。今はインターネットで、情報を広げることができるので、欲しい方を探すのも難しくないと思います。

主人の洋服など遺品を片づけ始めて感じた事

主人を癌で亡くし、5年がたちました。なかなか、悲しみから抜け出すことができず、主人の使っていたものや、洋服など、片づける気持ちにはなかなかなれませんでした。主人の使っていたものを見ると、悲しみがあふれてくるという現実が何年も続いていました。

でも、そんな悲しみも時間が少しずつですが、癒してくれました。娘たちからも「少しずつ、片づけた方が、かえって元気になれると思うよ」と勧められ、私も、気持ちが変わっていきました。

主人の洋服、サラリーマンだった主人は、スーツやネクタイがたくさんあります。スーツは、サイズが合わないと着れないので、処分することにしました。ネクタイは、使えそうなものだけは、クリーニングに出して、友人や、娘の旦那さんにあげることにしました。

そうやって衣類を片づけていくと、主人の使っていた机も処分しようと思うようになりました。思い出がいっぱい詰まっては、いますが、狭いマンションの中においてあるとかえって、気持ちがぐらつくように感じました。机も粗大ごみに出しました。

まだ、ほんの1部しか遺品を片づけてはいませんが、遺品を片づけることは、主人を忘れるということではないと思いました。整理して、すっきりすることで、私も元気が出れば、主人もホットしてくれると思えるようになりました。

先祖の大事な遺品も時を経ればただのゴミになる

古い蔵を取り壊すことになり、詰め込まれていたものを片付けることになりました。先祖の遺品と思われますが、特に価値のあるものはありません。何十年も眠っていたものが多く、ホコリやネズミの糞といったものにまみれて触るのも嫌でした。特に多かったものは食器の類で、割れている、欠けているものもありましたが、未使用のまま箱に入って忘れられていたものがほとんどで、今更使うにもデザインも古く、譲れるようなものでもなく、価値もないため捨てるしかありませんでした。それらが何十という木箱に入っていました。重たくて運び出すだけで重労働でした。もちろん全てゴミとして処理場にお願いしましたが、量が量だけにお金もかかってしまい、まさに骨折り損のくたびれ儲けをお金をかけてやるという馬鹿馬鹿しい状況でした。

 

量が多すぎるため、使えるものと使えないものとに分別するようなことは最初からしませんでした。ぱっと見使えそうだな、と思えるものがあっても、それは「使えそう」なだけであって「使いたい」ものとは別物です。先祖は大事にとって置きたかったのかも知れませんが、心を鬼にして全てを捨てることにしました。一人ではやらず、家族みんなで協力して作業に当たりましたが、誰かが「あ、これは綺麗」「使えるかもしれない」等言い出しても互いに「いいや使わない」と声を掛け合い、淡々と処理することを心がけました。

 

片付けをしていると「使えそうだから取っておこう」という心理に陥ることがありますが、自分が使うか否かできっぱり切り捨てながら行くほうが良いです。

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